退院後は医療費負担が大変
現在22歳で介護福祉士として働いて2年目になります。中学2年のときに白血病と診断され、国立国際医療研究センターで約4年間を過ごし、退院して現在5年がたちます。入院した当時13歳でした。骨髄移植をして退院できたのは中学2年の時です。ぼくは病院にいたので、高校受験から取り残され、やむなく定時制高校を選択しました。高校に入っても実際は治療が続いて、入院もしていたので、僕の思い出は楽しい学校生活ではありません。毎日、点滴につながれてるのが日課でした。病気のこと、将来のこと、考えることは嫌な思いばかりでした。外出や外泊のときも、周りで制服を着てる学生がうらやましかったです。みんなは制服を着て学校へ行く、僕は、帽子とマスクを着用して病院へ行く、そんな自分がとてもみじめに思うことがありました。1人泣く事もありました。抗がん剤の治療はとてもきつかったです。腰に太い針を刺して骨髄液を抜く検査や、点滴を刺すために何十回、何百回も検査をしてきました。とても痛くて怖い思いもしてきました。元気なころには知らなかった苦痛、恐怖の日々がありました。 闘病生活の中で1つだけ楽しみがありました。週に1度あそびのボランティアのみんなが来てくれる事です。週に1度たった2、3時間という限られた時間ですが、その2、3時間が僕にとって病気のことも忘れられる楽しい時間でした。一緒に話をするだけでも楽しかったです。闘病生活の中で、あそびのボランティアの存在はとても大きいです。2002年〜2006年まで、発病、再発、入退院をくり返した闘病生活は人生の中で、1番心に残る経験だったなと思います。 病気と闘った後は、社会と闘っていかなければなりません。義務教育も満足に受けられず、高校にも行ってなければ、資格ももっていません。周りは大学受験や就活、退院後の自分は1人取り残された感じでした。病気になったことを悔やんでもしようがない。1人でがんばっていくしかないと思いました。退院してすぐに高卒単位の取得、そしてバイトも始めました。少しでも周りに追いつきたいという一心で退院後の3年間は、失った時間を取り戻そうと必死でした。退院後も引き続き病院で検査と治療をうけています。がんの抗がん剤治療は免疫力が副作用で低くなってしまうので、病気などの感染に気をつけなければなりません。いろんな不安を抱えているだけに病院で知り合った仲間やボランティアさんたちとつながっていることは心強く思われます。 退院後の苦労では医療費の問題があります。20歳までは小児慢性特定疾患で無料ですが、20歳過ぎたら3割負担になってしまいます。その3割がとても負担です。抗がん剤の治療や検査はとても高くて特殊な検査を受けるときは2万、3万と請求がきます。10代で体がぼろぼろになって、這うようにして退院して、やっと働けるようになったら、今度は治療費でお金の多くが消えていきます。治療費の面でも収入に応じて、医療費の負担が少なくていい制度にしてほしいです。
最初は必要ないと思っていたけど (19歳男子)
僕は高校1年のときに白血病になって、化学療法や骨髄移植を受け、2年7ヵ月入院していました。今年夏にようやく退院することが出来ました。
最初は、16歳に遊びのボランティアなど、必要ないと、思っていました。日本地図のパズルをしながら、大学生ボランティアと話をしたりしましたが、ぎこちない会話でした。多分、ボランティアの人も、やりにくかったと思います。いつからか、K君がよく来てくれるようになりました。最初はオセロとか、ゲームをやってました。K君とは息が合いました。サッカーの同じチームが好きで、いろんな選手の話とかもしました。ある時、K君に「将棋、出来る?」と聞かれ、僕はまったく将棋をしらなかったので、いちから将棋を教えてもらいました。何回かやるうちに将棋のルールを覚え、ようやく対戦が出来るようになりました。でも負けっぱなしでした。将棋をしているときは、二人とも、静かになります。点滴がなくなり、看護師さんに「手を動かさないで!!」と言われ、心の中で軽く切れました。「手、動かさなきゃ、出来ないじゃん」と。看護師さんからしたら、メーワクな話ですけど。K君がニュージーランドに行くと聞き、ショックでもあり、楽しんできて欲しいとも思いました。このときに「どこに泊まるの?もし宿がなかったらどうするの?」とか、質問したのを覚えています。3ヵ月は長いなと思いました。3ヵ月後、K君が帰ってきて、ニュージーランドの話やお土産をもらい、いろいろ話をしました。因みにお土産のコップは愛用しています。
話はぐ〜んんと飛びますが…。土曜日の午前だけでなく、水曜日の夜、19時から20時半くらいまでボランティアさんが来てくれるようになりました。最初はK君とコーディネーターのSさんでしたが、やがてIさん、O子さんも加わりました。いつも水曜が楽しみでした。着替えを早く済ませ、夕ごはんを食べ、皆さんが来るのを待ちに待っていました。トランプは大貧民やポーカーが盛り上がり、人生ゲームをしたり、4,5人でいろんな遊びをしました。誕生日もボランティアさんたちに祝ってもらいました。遊んでいるときは、少しだけ「病気になっても良かった」と思える時間でした。最初は、ボランティアって、と思っていたけど、退院した今ではかけがえのないものだったと思います。長い間、ありがとうございました。
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